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青森地方裁判所 昭和28年(ワ)97号 判決 1957年2月27日

原告

佐藤光次

被告

白戸清四郎

主文

被告は原告に対し金四二、〇〇〇円およびこれに対する昭和二八年四月一八日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を原告の負担としその二を被告の負担とする。

この判決は、原告が金一四、〇〇〇円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

(省略)

理由

一、昭和二七年一〇月一一日午後八時頃青森市大字石江字江渡青森学園東方約三〇〇米の国道上で、訴外佐藤光蔵が挽いていた原告所有の荷馬車の後部に被告の運転するオートバイが追突したことは、当事者間に争がない。

成立に争のない乙第三号証の一、二、乙第七号証、乙第八号証証人志賀みよ、同佐藤光蔵、同中村正一の各証言および被告本人尋問の結果を綜合すれば、被告は前記の日時頃青森方面から弘前方面に向う国道上をオートバイを運転して進行中前記の場所にさしかかつた際、たまたま反対方向から進行してきたトラツクを発見したので、オートバイのライトを減光し左側に回避して右トラツクと擦れ違つたが、その直後再びライトをつけたところ、突如として前方約五米の地点を訴外佐藤光蔵が本件荷馬車を挽いて同方向に進行しているのを発見し、停車の措置を講ずる暇もなく、右荷馬車の後部中央に追突したこと、右追突現場附近は巾約六米の平担な道路で平常は見透しのよい場所であつたが、当夜は雨模様で夜陰のため相当暗く、ライトに頼らなければ十分の見透しがきかなかつたこと、被告は当時若干酒気を帯びていたことを認めることができ、なお被告はオートバイの運転については無免許であつたことは当事者間に争がない。

右認定の事実からすれば、被告が前方から進行してくるトラツクを発見してからこれと擦れ違うまでには時間的にも距離的にも若干の余裕があつた筈であり、右トラツクおよび被告の運転するオートバイと本件荷馬車の位置関係からして、被告がオートバイを運転する者として当然要求される前方注視義務を尽したならば、右トラツクと擦れ違う以前にライトの光によつて本件荷馬車が進行しているのを容易に発見しうべきであつたのに拘らず、被告は右の注意義務を怠つたため遂にトラツクと擦れ違うまで荷馬車の存在に気付かなかつたものと断ぜざるを得ない。さらに、被告は夜間オートバイを運転する者として、道路上で自動車と擦れ違う場合には、その直後を車馬が運行することがあるかもしれたいことを慮り、一旦停車するか又は何時でも停車しうるよう極度に速度を減じ、擦れ違つた後は前方に障害物がないことを確めたうえで、加速して進行すべき注意義務があるのであり、殊に本件被告は運転無免許者で技術も未熟なものであるから通常の場合に比しなお一層右の義務が加重されているのにも拘らず、被告はこれを怠り、漫然と速度を減ずることなく進行したため、本件荷馬車を発見したときは僅々五米の至近距離に迫り、急停車の措置を講ずる術もなくこれに追突したものであつて、本件追突事故は被告の過失に基くものといわなければならない。

二、次に被告の過失相殺の主張につき考える。先ず被告は、本件事故当時荷馬車を挽いていた訴外佐藤光蔵は無灯火であつたと主張し、この点について、証人佐藤光蔵は灯火を持つていた旨供述しているけれども、証人志賀みよ、同中村正一の証言によれば同訴外人は当時無灯火であつたのが真実のようである。もし同訴外人が灯火を所持していたとすれば、被告が本件荷馬車を発見することを容易ならしめたであろうことは想像に難くない。そして道路交通取締法施行令によれば、夜間路上において荷馬車を運行する者は危害防止のため灯火をつけるべきことを要求されていることが明らかであるから、本件において右訴外人が灯火を所持していなかつたことは同人の過失といわなければならない。次に被告は当時同訴外人は荷馬車に乗つていわゆる乗り打ちして馬を馭しており荷馬車の操縦方法が不完全であつたと主張し、この点について証人佐藤光蔵は当時馬の左側路上を歩行していたと供述し、証人中村正一および被告本人は右訴外人は荷馬車の上に乗つていたと供述しており、いずれが真実か俄に断定できないけれども、本件追突事故は前記のように被告が荷馬車の存在に気付かずオートバイの速度を落さなかつたために発生したものであつて、訴外人の馬車の操縦方法の如何によりこれを避けることはできなかつたものと認められるから、被告の右の主張は理由がない。

三、そこで本件事故によつて原告が蒙つた損害額について判断する。

(一)  本件事故により原告所有の荷馬車の車体の後部が破損し、その修繕費用として金四、〇〇〇円を要したことは当事者間に争がない。

(二)  証人佐藤光蔵の証言、原告本人尋問の結果およびこれによつて真正に成立したものと認められる甲第四号証によれば、本件事故により本件荷馬車に附属した馬具が破損し使用に堪えなくなつたので、原告は金一、五一〇円を支出して新品と取替えたこと、右馬具の使用可能年数は六年ないし一〇年であり、本件事故により破損した馬具は既に三年位使用したものであることが認められ、これにより、原告が新品の馬具を購入するに要した費用から、砂損した古い馬具を新品と取り替えることによつて得た利益を差引き損益相殺をすれば、原告の蒙つた損害は右支出金額の約半額金七五〇円と認めるのを相当とする。

(三)  成立に争のない乙第三号証の二、証人白戸久三郎、同佐藤光蔵、同中村清一の各証言および原告本人尋問の結果によれば、本件荷馬車に使用する馬は原告の所有であること、原告は本件事故直後の昭和二七年一〇月一二日および同一三日の両日は荷馬車の修理のため本件馬を休養させ、同月一四日弟の訴外佐藤光蔵が右馬を使用してりんご運搬の仕事に従事したところ右馬が跛行することがわかつたこと、更に同月一五日および一六日に至り次第に跛行の度を増し、遂に一六日午後から馬が使用に堪えなくなつたこと、獣医の診断の結果右肩胛関節炎に罹つていることが判明したこと、爾後同年一二月一〇日まで治療を続けて全快したこと、右期間中は輓馬として使用できない程度の症状であつたこと、馬が肩胛関節を打撃された場合、打撃の程度が強いときは直ちに跛行を見せるが、左程強くないときは最初は跛行を見せることなく徐々に炎症を起した後跛行を見せるに至ることもあることが認められ、他方証人佐藤光蔵、同中村正一の各証言によれば、本件追突事故当時衝撃のため馬が驚愕して追突地点より約五〇米前方に狂奔した事実が認められ、これらの事実を彼此考え合せれば、本件追突事故により荷馬車の車体に受けた衝撃が轅を通じて本件馬の右肩に伝わり、その結果右馬が前記の傷害を受けたものと推認するのが相当である。

被告は、本件馬の負傷の原因は、同年一〇月二一日頃右馬が原告方から近所の蹄鉄業山田由衛方に狂奔して暴れた際自ら右肩を打撲したことによるものであると主張するが、右主張に沿う乙第五号証に記載された訴外山田由衛の供述は、同人の当法廷における証言に照らし信用するに価しない。なお、証人中村正一および被告本人は原告は同年一〇月一七日以後も本件馬を使用していた旨供述しているが、右供述は証人佐藤先蔵、同佐藤武志、同神吉三の各証言および原告本人尋問の結果に照し信用し難い。その他前記認定を覆えすに足る証拠はない。

更に証人白戸久三郎の証言および原告本人尋問の結果によれば、原告は右馬の治療費として、訴外斎藤要次郎に金一、五五〇円を、訴外白戸久三郎に金五、八〇〇円を支払つたことが認められ、合計金七、三五〇円の損害を被つたということができる。

(四)  証人佐藤光蔵の証言および原告本人尋問の結果によれば、原告は本件馬および荷馬車を所有し、原告の弟佐藤光蔵を使用して荷馬車による小運搬業を営んでいたこと、原告が本件事故直後の昭和二七年一〇月一二日および同一三日の両日は本件事故によつて破損した荷馬車の修理のため、同月一六日午後から同年一二月一〇日までの間は本件事故によつて負傷した馬の治療のため、通計五七、五日間本件の馬および荷馬車を使用することができなかつたことを認めることができる。なお原告は同年一二月二〇日まで馬を使用しなかつたと主張し、原告本人尋問の結果によれば右の事実を肯認することができるのであるが、証人白戸久三郎の証言によれば、前にも認定したとおり本件馬は同年一二月一〇日全快したものであることを認めることができる(もつとも甲第五号証によれば白戸久三郎作成の領収書として同年一〇月二〇日まで治療した旨の記載があるが、右領収書は昭和二九年一〇月二八日に至り作成された文書であるのみならず、同人は当法廷においては本件馬の治療期間は昭和二七年一一月六日から同年一二月一〇日までであつた旨供述している点から考えると、右甲第五号証の記載は信用し難い。)から同月一一日以降原告が右馬を使用しなかつたとしても、それは右馬の負傷に基因するものということはできず、同年一二月一一日以降同月二〇日まで原告が右馬を使用しなかつたことが本件事故に基因したものであることを認めるに足る証拠はない。

原告は右の本件馬および荷馬車の使用不能により一日平均金八〇〇円の得べかりし利益を喪失し、同額の損害を被つたと主張するので、この点について判断する。原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第三号証、証人佐藤光蔵、同工藤繁太郎、同石崎平太郎、同佐藤武志、同神吉三の各証言および原告本人尋問の結果を綜合すれば、原告は毎年一〇月頃から一二月頃にかけて、弟佐藤光蔵を使用して本件馬および荷馬車により居住部落から青森市内にりんごを運搬する仕事を請負うことを常としていたこと、りんご運搬の仕事がない日は訴外石崎平太郎の経営する小運搬業石崎組に加わり賃銀を得て小運搬の仕事に従事していたこと、りんご運搬に従事すれば一箱につき金一〇円の運賃で一日に一〇〇箱ないし一五〇箱を運搬することができたこと、原告は現に昭和二七年一〇月一七日から同年一二月一〇日までの間に合計二四日間現実にりんご等運搬の仕事を引受けたが、本件事故により自己の荷馬車を使用することができなかつたため、やむをえずこれを同業の訴外佐藤武志ほか数名の者に依頼して運搬させ、同訴外人等に対し合計金二四、八一〇円を運賃として支払つていること、原告が本件馬および荷馬車を使用しなかつた五七、五日のうち右りんご運搬に当つた二四日間を除く三三日間の石崎組における運搬賃銀の総計は金二四、一八〇円であつたことを認めることができ、右認定の事実からすれば、もし原告が右期間中本件馬および荷馬車を使用することができたならば、少くとも一日平均金八〇〇円の利益を挙げることができた筈であることを窺知することができる。すると、原告は本件事故により右の馬および荷馬車を使用し得なかつた期間は前記認定のとおり五七、五日であるから、原告は本件事故により合計金四六、〇〇〇円の得べかりし利益を喪失し、同額の損害を被つたというべきである。

以上(一)ないし(四)に認定した金額合計金五八、一〇〇円は、原告が被告の本件不法行為によつて被つた損害というべきであるが、原告に使用されていた訴外佐藤光蔵においても本件事故に関し前記認定のとおり過失があつたのであるから双方の過失の程度を比較衡量すれば、被告が原告に対して賠償すべき金額は前記の金額から約五分の一を減じた金四六、〇〇〇円とするのが相当である。そのうち被告がすでに荷馬車の修繕料として金四、〇〇〇円を原告に支払つたことは原告の自陳するところであるから、これを控除した金四二、〇〇〇円について被告はこれを原告に賠償する義務を負うものといわなければならない。

四、被告は、本件事故当時原告の荷馬車はすでに朽廃の時機に達しており、かりに本件事故が発生しなかつたとしても修繕しなければならない状態にあつたものであるから、その修繕費を負担する義務はなかつたのに拘らず、修繕費として金四、〇〇〇円を原告に支払つた。従つて、原告に対し右金四、〇〇〇円の不当利得返還債権を有するから、これをもつて本件債務と対等額において相殺の意思表示をする。旨主張し、原告は、右被告の抗弁は時機に後れた抗弁であると主張する。被告の右抗弁は、本件における証拠調が終つた後である昭和三一年一〇月二四日の口頭弁論において陳述されたものであることは記録上明らかであるが、被告は右事実を立証するため更に証拠調の申請をしなかつたことも又記録上明らかであるから、これがため訴訟の完結を遅延させるものということはできない。しかし、右抗弁において被告の主張する事実は本件に現われたすべての証拠をもつてしてもこれを認めることはできないから、結局被告の右抗弁は採用することはできない。

五、以上の理由により、原告の本訴請求は、金四二、〇〇〇円およびこれに対する本件訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和二八年四月一八日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当としてこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条を適用し、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 渡辺忠之)

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